もう一つの私の趣味
クラシック音楽から


名指揮者レオポルド・ストコフスキー楽しく、華麗な世界

世界初のサラウンド映画「ファンタジア」(1940年公開、ディズニー作品)を指揮した、物凄い男


<ディズニー映画「ファンタジア」は、サラウンド映画の第1号だった>

 ウォルト・ディズニーが作った古典的な長編アニメ映画「ファンタジア」をご存知でしょうか。ミッキー・マウスが「魔法使いの弟子」に扮して、大騒動を巻き起こす場面を思い出される方も多いと思います。
 その物語の最後に、ミッキーと握手をした指揮者がいました。それが、このコーナーの主人公である指揮者、レオポルド・ストコフスキーです。

 私がなぜこの映画に大きな興味を持ったのかといいますと、この映画が9チャンネルサラウンド音響を持つ世界初のサラウンド映画だったからです。(当時は「ファンタサウンド」と呼ばれていました。)  
 そして何よりも、このストコフスキーという指揮者を、数多い名指揮者の中で最も敬愛しているからなのです。

 この映画が公開された1940年当時は、レコードといえば蓄音機の時代でした。(ちなみに日本の真珠湾攻撃は1941年12月でした。)

 大きなラッパのようなスピーカーから音が出る、しかも片面が5分〜7分しか演奏できない毎分78回転のSPレコードが主流の時代です。(もちろんモノラル録音です。)
 その後開発された片面30分以上再生できるLPレコードが実用化されたのが1948年、さらにステレオレコードにいたっては1958年以後のことです。そんな時代に、どうやって9つのスピーカーを使って音楽をサラウンド再生したのでしょう。

 とても信じられない。そんな、ウソだろ? そんなことが当時の技術でできたのか、と言いたくなるような話ですが、彼らはそれを実際にやりとげました。

 その結果、アカデミー特別賞までも受賞したのです。(当時はアニメに対する賞はありませんでした。)
 ただし、設備の整った劇場でないとサラウンドの再生ができなかったので、上映はごく限られた劇場でしかできず、リバイバルを重ねて採算が取れるようになるまで30年近くかかったという、気の遠くなるようなエピソードを持つことになりました。

 そのサラウンド再生の秘密は、簡単に言いますと、上映時に9台の映写機をシンクロさせて同時に再生したのです。ただし映像を映し出すのは1台だけで、残りの8台は音楽を同時に再生するためだけに使用しました。何とも贅沢で、手の込んだ方法だったのです。

 当時のSPレコードは、音質的には貧弱で、むしろ大音響を鳴らすことのできる映画フィルムのサウンドトラックの方が、レコードよりもダイナミックレンジが広く、音質的にはるかに優れていたのです。
 鮮やかな色彩のアニメーションと、自分の周囲を自由自在に飛び交う鮮明な音の洪水の中に身を置いた観客たちは、さぞかしドギモを抜かれたことでしょう。
 (現在、映画「ファンタジア」はDVD化され、音場も5.0サラウンド(英語版)にミックスダウンされたものが販売されており、当時にかなり近い状態で接する事が出来ます。大抵のレンタルビデオ店で、ディズニー映画のコーナーに置かれています。)

 ということで、この映画は現代のマルチチャンネルのデジタルサラウンド映画を大きく先取りした画期的な映画だったのですが、その実現に大きな力となったのが、この指揮者ストコフスキーでした。

 彼なくしては、この映画を語ることはできません。というのは、この映画で音楽をサラウンド再生しようとウォルト・ディズニーに提案したのが、他ならぬ彼だったからです。

 彼はレコードの録音技術に明るく、積極的に最新の技術を取り入れて、数多くのレコードを録音した指揮者でした。1931年のベル研究所による世界初のステレオ実験にも参加し、音楽のステレオ再生がどれほど鮮明で豊かな音場を再現できるかということを知っていた彼だからこそ、なし得た提案だったのです。

 当時の録音技術はかなり未熟で、そのため有名な指揮者の多くはレコード録音を軽視し、消極的でした。
 しかし彼は、マス・メディアによるレコードの普及力の大きさと、録音技術の進歩を確信して、より良いレコード作りに積極的に工夫と努力を重ねました。また、より効果的な響きを求めて楽譜に変更を加えたり、オーケストラの楽器の配置も伝統にとらわれず大胆に変更しました。
 現代のオーケストラの標準的な配置
も、彼が創り出したものです。時には録音技術の勉強のために、わざわざドイツに出向いたこともありました。

 彼のユニークな音楽活動には先駆者としての先見の明があり、他の指揮者たちには真似のできない演奏のスケールの大きさと独自の素晴らしい音楽性に溢れています。今日のレコード録音の基礎を作ったのは、間違いなくストコフスキーであると言えるでしょう。

 彼は、しばしば『音の魔術師』と呼ばれ、時にはペテン師や山師のように言われることもありましたが、マスコミに派手な取り扱いをされる裏側には、このように地道で熱心な活動がありました。彼こそは、まさに本物の「魔法使い」と呼ぶにふさわしい人物であると思います。


 ここで、彼のことを簡単にご紹介しましょう。とは言っても、レコードの普及とクラシック音楽の大衆化に大きな貢献をした人物ですから、語るべき功績も非常に多いので、小さくまとめるのは難しい事です。
 そこで、まずはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に書かれている記事をもとに、適宜加筆補正して概略をご紹介します。

 また、「ファンタジア」の製作時のエピソードも後ほどご紹介します。


レオポルド・ストコフスキーについて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

レオポルド・ストコフスキーLeopold Stokowski, 1882年4月18日 - 1977年9月13日)は、20世紀における最も個性的な指揮者の一人である。イギリスのロンドンに生まれ、主にアメリカで活動した。
 彼の生誕100年を記念して発売されたレコードのジャケット。
 1930年代の写真と思われる。
 最も多くのジャケットに使われた写真のようである。

生涯

 彼は当初、教会のオルガニストとしてスタートし、ニューヨークで教会のオルガニスト兼合唱指揮者に就任したが、その後指揮の研鑽を積み、1909年5月12日にパリで指揮者としてデビューし、その6日後にはロンドンでもデビューをはたした。
 シンシナティ交響楽団の常任指揮者を経て、1912年にフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者に就任し、以来1940年にいたるまでその地位を守った。

 (実績の乏しい彼が、指揮者デビューから短期間の間にシンシナティ交響楽団の常任指揮者になれたのは、最初の妻オルガ・サマロフの大きな尽力があったからだと言われています。彼女は、後に名門ジュリアード音楽院のピアノ教授にもなったピアニストで、幾多の優秀な弟子を育てた名教師です。

 また、ストコフスキーは63歳で3度目の結婚をしましたが、相手は孫ほども年の離れた19歳の若い女性で、2人の子供をもうけました。95歳まで寿命があれば、63歳で子供が出来ても不思議は無いのかも知れませんが、やはり彼は怪物だったのでしょう。たいしたものです。
 1965年の来日の折に2人の息子と共に写した記念写真を、以前に雑誌で見たことがありますが、すでに立派な若者に成長していました。その雑誌は惜しくも紛失しましたが、出て来たらこのコーナーにアップするつもりです。)

 彼は、田舎の一楽団に過ぎなかったフィラデルフィア管弦楽団を世界一流のアンサンブルに育て上げた。しかし、任期の最後の方では楽団の経営サイドとうまく行かず(楽員レベルでは最後までうまく行っていたようである)、ユージン・オーマンディと共同監督という形が取られた。彼はこれに不満があったのか、フィラデルフィア管弦楽団との公演は、辞任後の1941年に戦前最後の公演(バッハのマタイ受難曲)を行った後、1960年まで途絶えることとなった。

 その後は全米青年交響楽団(1940年〜1941年)、ニューヨークシティ交響楽団(1944年〜)やアメリカ交響楽団(1962年〜)といったオーケストラを創設し、またNBC交響楽団(1941年〜1944年まで常任。その後も度々客演。1954年トスカニーニの引退後、契約解除となった楽団員達がシンフォニー・オブ・ジ・エアとして改組し、彼を頼って活動したが、まるで映画「オーケストラの少女」を地で行くような話である。)や、ニューヨーク・フィルハーモニック(1947年〜1950年)、ヒューストン交響楽団(1955年〜1961年)の指揮者を歴任した。その一方で、戦後はヨーロッパ諸国など世界各地への客演も活発におこなった。

 1961年、生涯で唯一オペラハウスで指揮をした。(メトロポリタン歌劇場にて、プッチーニの「トゥーランドット」)

 1965年7月日本フィルハーモニー交響楽団読売日本交響楽団を指揮するために来日した。このとき、日本フィルと日本武道館でもコンサートを行ったが、これは日本武道館で行われた初めてのコンサートであった。いかにも、初物好きな彼らしいエピソードである。( ビートルズがコンサートの第1号と思っている人が多いようだが、彼らの来日は、翌年の1966年である。)
 当日の最後の曲は「星条旗よ永遠なれ」で、この演奏のために警察庁、消防庁、日本フルート協会等の協力を得て、ピッコロ26、トランペット10、トロンボーン12を特別に加えて、壮大華麗に演奏したという話が残っている。

 晩年の1973年に、手兵のアメリカ交響楽団の常任を秋山和慶に譲って故郷のイギリスに帰り、生涯現役を貫いて(ただし公開の演奏会は1975年を最後に引退し、以後はレコーディング活動に専念)、精力的に音楽活動を続けた。

 1976年、94歳の時にCBSコロンビアと6年間のレコーディング契約(契約満了時に100歳を迎える計算である)を結んで話題を呼んだが、1977年9月13日正午前、ハンプシャー州ネザーウォロップの自宅で、心臓発作により95歳で没した。
 6日後の同月19日からラフマニノフの交響曲第2番をレコーディングする直前であり、また数年後にはベートーヴェンの「田園」をデジタルレコーディングする予定だったという。


幅広い音楽活動

 彼はメディアへの関心が深く、早い時期からレコーディングに積極的であった。電気吹込以前のアコースティック録音の時代であった1917年から、亡くなる直前まで膨大な数の録音を行った。最初の録音はブラームスのハンガリー舞曲第5番と第6番であった。

 1925年に初めてオーケストラの電気録音を行い、1931年にはこれも世界初となるステレオ録音を行った。
 その後もドルビーシステムによる録音、4チャンネル録音など、常に最先端の技術を積極的に取り入れて、アナログ時代における全ての録音方式を経験した唯一の指揮者(死亡当時)であった。

 また、「オーケストラの少女」や、ディズニーの画期的な音楽アニメーション映画「ファンタジア」など、映画にも出演し、クラシック音楽の大衆への普及に努めた。「ファンタジア」により1941年の第14回アカデミー賞の特別賞をウォルト・ディズニーとともに授けられた(当時のアカデミー賞には、アニメに対する賞は設けられていなかった)。

 彼は保守的なオーケストラの理事会との対立など、様々の困難を乗り越え、経済的な困難に対しては私財を投げうつこともあった。後者に関しては、1962年のアメリカ交響楽団の創設につながってゆく。

 彼は初演魔としても知られ、しばしば難解だった同時代の音楽の紹介・擁護にも力を注いだ。彼が指揮したことで評価が高まった曲は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、ホルストの「惑星」、オルフの「カルミナ・ブラーナ」など数多い。
 アメリカの聴衆にマーラー、ベルク、シベリウス、ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチらの作品を紹介し、また、ラフマニノフ、シェーンベルク、ヴァーレーズ、アイヴズなどの作品を世に送り出した。

 彼が世界初演、あるいはアメリカ初演したうちの代表的なものは以下の通りである。


演奏スタイル

 ストコフスキーは、16世紀のルネサンス音楽から前述の20世紀音楽に到る極めて幅広いレパートリーを手中に収めており、どんな曲でも常に新鮮で刺激のある演奏を聴かせた。彼はオーケストラを操る達人であり、指揮棒を使わずに指揮を行い、表情豊かな音楽を引き出した。

 楽曲をより分かり易く、効果的に響かせるために、楽譜を手直ししたり他の楽器を加えたり、楽曲の改変をも辞さなかった。(特にSPレコードの時代は、一枚の再生時間が短く、また再生音域も狭かったので、それを補うための改変はやむを得ないという事情があった。また普通のコンサートでも、指揮者が楽譜に手を加えるのは、当時は一般的に行われていたので、彼だけを批判するのはむしろ奇妙なことなのだが、それだけ彼が目立つ人間だったということの証しなのだろう。)

 また、よりよい音響を求めてオーケストラの楽器の配置も研究し、それまで一般的だった第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを左右両翼に分けた配置をやめて、現在のようにまとめて左側に配置する形を生み出した。
 これは、特にステレオ録音の効果を生かすために生み出された配置であり、彼自身はその後弦楽器群と管楽器群を左右に分ける配置を多く使うようになった(映像やライヴ録音で確かめることができる)。

 彼はアカデミックな批評家たちをしばしば敵に回したりしたが、その生命力あふれる独創的な解釈は強い説得力を持ち、「ストコフスキー・サウンド」と呼ばれる華麗な音色 (オルガン演奏のように、ぶ厚い低音部の上に、豊かな中音部と華やかな高音部が、多彩な響きを聴かせる) で、多くの聴衆から圧倒的な人気を得た。現代の日本に例えれば、歌舞伎の市川猿之助のような存在だったと言えよう。

 オルガン曲、ピアノ曲などのオーケストラ編曲にもすぐれた手腕を見せ、特に「トッカータとフーガ ニ短調」などJ.S.バッハの作品を編曲したものは有名で、今日でも演奏されている。
 「トッカータとフーガニ短調」は当初、オーケストラの練習用に編曲されたが、殊のほか好評だったので演奏会にかけてみたところ評判をとった。批評家らは彼の編曲によるバッハの作品を「バッコフスキー(バッハ+ストコフスキー)作曲」と揶揄したが、多くの聴衆の支持もあって彼の編曲によるバッハの作品は数多くレパートリーに加えられるようになった。彼は1962年、自身の編曲によるバッハの作品に関してこう述べている。

彼が私の編曲をどう思うか。それは私の死後の運命がどうなるか分からないが、とにかく行った先で彼に会ってみないことには何とも言えない。


録音

ストコフスキーの数多い録音の中でも、以下の作品の演奏は個性的な名演として特に名高い。

意外に知られていないが、初めてブラームスの交響曲全集のレコードを作ったのはストコフスキーである。


出演した映画

先に記した「ファンタジア」以外にも何本かの映画に出演している



映画「ファンタジア」に関するエピソード

ウォルト・ディスニーとの出会い。

ミッキー・マウス主演の「魔法使いの弟子」〜当初は短編映画として、この曲だけを作る予定だった。

ステレオ音響の提案について。

製作時のエピソード

公開後のエピソード



私の好きな演奏、作曲家別ベスト20。
 (彼の名演奏レコードについては、実はベスト10では足りません。最低限20は必要です。それぞれについてのコメントは、順次書き込みをして行きます。とりあえずは、作曲家と曲名を掲げておきます)



 (1)リムスキー・コルサコフ交響組曲「シェエラザード」

 ストコフスキーは、「シェエラザード」を5回も録音している。内訳は、次のとおり。

  1.1927年10月    フィラデルフィア管弦楽団(電気録音)
  2.1934年10〜11月 フィラデルフィア管弦楽団(同上)
  3.1951年       フィルハーモニア管弦楽団(LP録音)
  4.1964年 9月    ロンドン交響楽団
              (ステレオ、フェイズ4録音〜マルチ20チャンネル録音で楽器の定位が良い)
  5.1975年2〜3月   ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
             (
4チャンネル録音、4つのスピーカーから独立した音が出るサラウンド音響)

 これ以前にも、1919年と1921年に同曲の第3楽章と第4楽章の短縮版がアコースティック録音で吹き込まれているそうだが、全曲ではないので、あまり重要ではないだろう。
 いずれも、録音技術が以前より良くなった時点で録音し直しているという印象である。その意味でも、この曲は若い頃から重要なレパートリーにしていた事がうかがえる。

 私の手元には、1はないが2から5までのCDがある。中でも4は、初期のCD化のものや、最新の24bit/96kHzによるリマスタリングでより良い音になったもの等4種類ある。本来同じ録音のはずだが、聴けばそれぞれに音のニュアンスが微妙に違っている。特にCD化初期のものは、若い頃からレコードで馴れ親しんできた音に近いので捨て難く、結局全部残している。

 さてこれらの中では、やはり4の演奏が気力が充実し、ステレオ録音ということもあり最も愛聴している。たたみかけるように突き進むかと思うと、一方で異国情緒たっぷりに歌い込む。まことに緩急自在な指揮ぶりである。ロンドン響も見事なアンサンブルで咆哮している。波乱万丈一大スペクタクル映画を見ているような気分にさせてくれるのである。まさに心を酔わせる演奏であり、ストコフスキーの芸の醍醐味がたっぷりと味わえる。彼の代表作と言ってもいいと思う。

 次に愛聴しているのが3のCDである。面白さの点では4のCDに劣らない。また、モノラルとはいえ録音の精度が高く、とても1951年の録音とは思えないほどダイナミックレンジが広く、楽器の音が生々しい。さすがはストコフスキーの仕事である。こちらも波乱万丈、アラビアンナイトの大絵巻が目の前に繰り広げられ、思わず引き込まれてしまう。オケもなかなかうまい。

 2の演奏は、音が少々さびしいのは仕方がないが、意外にゆったりと安定したテンポで、気宇雄大、ドラマチックに演奏を聴かせる。さすがに若い頃から得意にしていた曲だけに、聴かせどころのツボをおさえ、雄弁な歌い回しを随所で聴かせてくれる。聴き進むうちに演奏に引き込まれてしまう。
 曲の解釈は基本的に34と違いはないが、感性の若々しさがあり、よりロマンチックである。彼の若い頃の姿を知る事ができる点で貴重である。フィラデルフィア管弦楽団は全く見事な演奏で、世界一と呼ぶにふさわしい素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれる。

 5のCDは、一番録音が新しく、また4チャンネルのサラウンド録音をデジタル・サラウンド化したCDなので、普段はドルビー・プロロジックでよく聴いているが、音場空間処理が雄大で、まるでキエフの大門のような泰然とした構えである。4のCDのように時々音が割れるような事もない。ストコフスキーの4チャンネル録音はサラウンド時代にふさわしい録音が揃っているので、いずれSACD化されるだろうと思っている。
 ここでの演奏は録音技術の良さを活かし、大きな構えの中、流麗で、美しい歌心に満ちているが、ダイナミックに暴れまくると言うよりは、上品で端正な演奏である。したがって、残念ながら以前のような覇気はない。これは彼の寄る年波に加えて、オケがロイヤル・フィルだった事も影響していると思う。
 これがロンドン響だったら、ストコフスキーの意図を汲み取ってもっと元気に、見事なアンサンブルで充実した演奏を展開してくれただろうにと思うのは、私だけではないだろう。ロイヤル・フィルとロンドン響には、紳士と海賊くらいの個性の違いがある。


   序曲「ロシアの復活祭」

 この曲も、リムスキー・コルサコフの作品の中ではポピュラーなものである。演奏会にかけられる機会が多く、大曲とのカップリングで録音されることも多い。
 これは復活祭〜キリストの復活を祝う祭〜の、前日の受難を悼む暗い気分から当日の復活を祝う荘厳な部分に、華やかな祝祭の気分へと展開する様子を描いた曲で、後半の民衆の心が高揚する部分が聴かせどころになっている。序曲というよりは交響詩と呼ぶほうがふさわしい内容を持つ曲である。

 ストコフスキーには、SP時代に2種の録音があり、以後モノラル時代に1種、ステレオで1種と、計4回録音している作品である。
 私はステレオでのシカゴ交響楽団とのCDを持っているが、ここでの演奏は、まさにストコフスキー節が生きいきと歌われ、ドラマ性を感じさせ全く飽きさせない。

 彼はここでも緩急自在にテンポを動かし歌うべきところではたっぷりと歌を聴かせる。まるで演歌歌手のように間(ま)を計り、ドラマチックに演出したりもする。しかし、決して曲の本来の意図から外れる事はない。だから彼の演奏には説得力があるし、支持者も多いのである。

 この曲のCDでは、他にマルケヴィッチ盤、ミュンシュ盤とデュトワ盤を持っているが、マルケヴィッチ盤(演奏はラムルー管弦楽団)は、やや一本調子でドラマ性に乏しかった。むしろカップリングされたメインの「展覧会の絵」(演奏はベルリン・フィル)の方が個性的な名演奏であった。

 ミュンシュ盤(フランス国立放送管弦楽団の演奏)は、アンサンブルはシカゴ響に一歩譲るが、この指揮者の個性が発揮され、正攻法で竹を割ったような剛直ともいえる演奏で、メリハリのある演出もうまく、歌うべきところはよく歌っており、聴き応えのある良い演奏だった。

 デュトワ盤(モントリオール響)は、よく言えば都会的ですっきりした彼らしい演奏であるが、ロシア的味わいとか余韻といった要素に乏しく、どんどん前へと進むばかりで、どうも物足りない。同じスイス出身のアンセルメと同じ印象で、時に冷たく素っ気ないところがあり、優秀な指揮者だけに残念である。もう少し、じっくりと歌を聴かせるところが欲しいのだが、これも彼の個性なのだろう。

 演出の面白さや歌い方のうまさの点では、やはりストコフスキーの演奏に軍配が上がると思う。ただ、正攻法の演奏しか認めない人にとっては、ケレン味のある演奏として敬遠されるだろう。
 このあたりは聴き手の好みによって意見が大きく分かれるだろうし、この種の曲では、それもある程度はやむを得ないところである。




 (2)ムソルグスキー組曲「展覧会の絵」
 

 原曲は、周知のとおりピアノ曲であるが、クーセヴィツキーの依頼により、ラヴェルがオーケストラ用に編曲して以来、代表的な管弦楽曲として人気が高くなった。だがラヴェルの編曲は、フランス人らしく都会的でエスプリの効いたモダンなもので、原曲の持つ泥臭さやロシアの風土からは遠ざかっている。従ってもっとロシア的なものを求めて、ラヴェル以外にも作曲家や演奏家による編曲がいくつか作られている。

 ストコフスキーは、最初ラヴェル版で演奏していたが、その後、自ら編曲した版でレコードを3種作った。ライヴ盤を含めると5種の録音が残されており、内2種はステレオ録音(スタジオ、ライヴ各1)である。
 全体の流れを強調するために原曲の一部をカットするなどして、大胆華麗に編曲しているが、その作風は、ロシア的な重厚さ怪奇さに満ちており、アンチ・ラヴェルと言ってもいいほどである。
 特に第1曲のプレリュードは弦楽合奏から始まり、最後にトランペットが加わるという形で、楽器の登場順までラヴェルと正反対になっている点で徹底しているが、それが単なるひっくり返しに終わらず、ロマンチックな雰囲気を醸し出し、名編曲というべき出来栄えになっている点はさすがで、音楽の内容を大切にする彼らしく、立派な作品である。

 この曲のCDでは、有名な1931年のベル研究所のステレオ実験の際の録音が残されている。こちらの編曲はラヴェル版である。また、収録も全曲ではなく、録音もモノラルとステレオの混在という形になっているが、これは販売より実験が目的だったのだから仕方がないだろう。
 このCDは、歴史的な実験(世界初のステレオ録音)の現場に立ち会っているような気分を味わえるし、演奏もキビキビとして力強く、当時の演奏の雰囲気を楽しむのにもってこいの1枚である。
 音質的にはLPレコード並みであるが、当時主流だったSPレコードよりはるかに良く、また音場の広がりもちゃんとある。電話線で遠隔地に音声を送るのが主目的だったことを考え合わせると、よく頑張っていると思う。
 このときの経験が、のちの映画「ファンタジア」のサラウンド音響に結実したことを考えると、このように貴重な録音が、よく残っていたものだと嬉しくなってしまう。

 その他には、有名な一部の曲を単独で録音したものに接することができる。キャピトルで1956年に録音されたものだが、曲目は最後の2曲で、「ババ・ヤーガの小屋」と「キエフの大門」である。こちらもラヴェル版だが、多少彼らしく味付けも加えられている。若々しく颯爽とした演奏である。
 オケは単に交響楽団と記されただけである。時期からして、キャピトルとの契約直後でステレオ最初期のものだが、音はなかなか良く録れていて、彼らしい「ストコフスキー・サウンド」が展開されている。

 余談だが、この正体不明の楽団は、演奏力が実に素晴らしい。これは彼のために特別に編成された楽団で、その実体は、東海岸での録音のときは、ニューヨーク・フィルフィラデルフィア管NBC交響楽団(のちのシンフォニー・オブ・ジ・エア)、あるいは彼が創設したニューヨーク・シティ交響楽団のメンバーなどを中心としていた。また西海岸のときはロサンゼルス・フィルのメンバーなどを中心にして、ハリウッド・ボウル交響楽団と名乗っていたこともあったが、いずれも彼を慕って集まったトップクラスの演奏家たちの集団なのである。このような楽団を編成できたのは、トスカニーニかブルーノ・ワルターくらいのもので、それほど彼の人望は高かったのである。

 さて、この曲の録音といえば、やはり彼自身の編曲による演奏がベストということになる。1966年のニュー・フィルハーモニア管とのステレオ録音がその代表的なもので、英デッカのフェイズ4により、鮮明な音と豊かな音場が広がり、各楽器の定位もしっかりした録音である。まさに目で見るように音場感が良く、彼の編曲の特徴を余すところなく再現している。昔、ステレオのことを立体音響と呼んでいた時代があったが、これこそは立体音響としての代表格だろう。

 演奏は、重厚で泥臭く、時に不気味さも醸し出す。各楽器の音色は生命感・色彩感にあふれ、絢爛華麗な演奏ぶりで、ロシア的な雰囲気をよく表現した、彼ならではの個性的な名演である。




   交響詩「はげ山の一夜」

 この曲は、映画「ファンタジア」の中でも取り上げられ、映画のラストを大いに盛り上げていた。映画ではところどころ楽譜を思い切って変更し、よりグロテスクで不気味に演出して聴かせていたが、切れ目なく続く最終曲の「アヴェ・マリア」では、対照的に、清澄で荘厳な世界を聴かせてくれていた。

 映画での演奏は、オリジナル・サントラCDやDVD、レンタル・ビデオなどでいつでも楽しむ事が出来る。
 映画に近い演奏では、ロンドン響との1967年のフェイズ4録音と、ロイヤル・フィルとの1969年のBBC放送ライヴであるが、上記の「シェエラザード」でも述べたとおり、ロイヤル・フィルではやや上品で不気味さに乏しい。スタジオ録音でもあるロンドン響の方が、怪奇性が存分に発揮されていて面白く、やはりこちらに軍配が上がる。

 なおフィラデルフィア管とのCDでは、映画公開当時の1940年の録音もあるが、映画の時ほどのデフォルメはされていない。やはり映画では、分かりやすくショウ・アップしていたのだろう。
 この曲は、オーケストラ曲の中でも人気が高いので録音の数も多く、ディスコグラフィーではライヴや映画の物も含めて7種の録音が残されている。
 




 (3)アルバム「ラプソディ」よりエネスコ〜ルーマニア狂詩曲第1番、他、




 (4)プロコフィエフカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」

 この曲は、プロコフィエフが同じソ連の巨匠エイゼンシュタイン監督の映画「アレクサンドル・ネフスキー」(1938年公開)のために書いた音楽を、合唱付きの独立した音楽作品として昇華させたもので、非常に重厚な作品に仕上がっている。ただこの作品は、下記のとおり映像と密接な結び付きがあるため、実際に映画を見ていないと、充分に理解できないところが多いと思う。

 アレクサンドル・ネフスキーは、13世紀のロシアの英雄であり、聖人である。モンゴルやスウェーデン、ドイツなど国境を侵して攻めてくる外国勢を打ち破り、キエフとノヴゴロドの大公となった。この映画では、十字軍の名のもとにノヴゴロドに侵攻したドイツの軍団を壊滅させるまでの様子を描いている。その中に若い騎士達の恋と友情や民衆の郷土愛・家族愛を交えて物語が展開する。

 単純にいえば、英雄物の娯楽大作であるが、大勢のエキストラによる迫力の戦闘シーンや、エスプリの効いたうまいセリフがあったりして、黒澤明の「影武者」や「七人の侍」、「用心棒」などと相通じるようなところがあった。それぞれの場面のリアリティの凄さ、格調の高い構図や見事なライティングが印象的で、映像のインパクトが強く、非常に説得力と充実感のある映画だった。

 以前、「黒澤 明が選ぶ世界の名作映画100選」という番組の中に、この映画の名前を見つけたことがあったが、やはりそういう名作だったかと納得したものである。
 数年前にDVDで出ているのを店頭で見つけてすぐに購入したが、今では廃盤になっているらしい。

 実は学生時代、映画好きの友人に頼まれて、ソ連映画の上映会の切符を付き合いで買わされたのだが、行ってみてその出来栄えの素晴らしさに感心したのが、この映画との出会いであった。ちなみに当日は2本立てで、もう1本の「誓いの休暇」も青春映画の名作で、これまた感動させられたものだが、懐かしい思い出である。

 さて、音楽がプロコフィエフということで、興味津々で鑑賞したのであるが、なじみやすい民謡風のメロディや、不気味なドイツ軍団のテーマがあったり、後半の戦場で負傷した恋人や夫たちを探すロシアの女性たちの切々とした歌を聴いて、胸が締め付けられるように感じたのを覚えている。当時、たまたまアンドレ・プレヴィン指揮のロンドン響によるレコードが出ていたので、早速購入して繰り返し聴いたものであった。

 この曲は映画のストーリーに従って展開し、メロディも平易で親しみやすく、ドラマチックな場面とのメリハリもあり、合唱が加わって重厚な絵物語のような作品になっている。スタンリー・ブラックの、ストーリー性を持たせたサントラの編曲と似たようなところがあるが、芸術性ではこちらの方が数段高い。

 ストコフスキーのCDを集中的に集めるようになって間もなく、この曲のCDに出会った。オランダのヒルヴェルスム放送管弦楽団とのライヴ録音である。特に予備知識がないまま購入したのだが、聴いてみるとプレヴィンの演奏など物の数ではないと思えるほどテンションが高くドラマチックな演奏で、録音も放送局の録音らしいがなかなか良くて、すっかり気に入ってしまった。ストコフスキーは、同楽団とはこの演奏の前後にフェイズ4で何曲か録音を残しているが、それらと比べても聴き劣りしない名演奏である。やはりストコフスキーは凄い、と実感した1枚であった。

 その後、この曲ではフリッツ・ライナー、オーマンディ、アバードのCDも購入したが、いずれもストコフスキーを超えるものではなかった。

 これらの中で、アバード盤は評論誌では評価が高いようだが、彼の歌わせ方はかなり主観的で、違和感を覚える。原作の映画の、エイゼンシュタインの映像のイメージにかなり遠い演奏なのである。多分、映画を見ていないのではと思われる。

 この音楽は、当時ハリウッド視察で見聞した経験を活かすべく、プロコフィエフが挑んだ実験的作品であった。それまでの単なるムード的な伴奏音楽から一歩進んで、映像と音楽を有機的に結びつけており、場面のカット割りと音符数までピッタリ合わせて相乗的に効果を生むように書かれている。従って音楽を聴くと、映画の中のそれぞれの場面展開が、頭に鮮明に浮かんでくるほどである。
 この曲は、独立した音楽作品に昇華したとはいえ、映画と切り離すことのできない兄弟のような作品であり、私が最初に書いた、映画を見た事がないと音楽が充分に理解できないというのは、こういう事情によるのである。

 私が最初に映画を見てしまったせいもあるのだが、アバードの演奏は、頭に浮かぶエイゼンシュタインのインパクトの強い映像との間に違和感があって、いつも途中で聴くのを止めたくなってしまう。

 その点で、他の二人は映画の印象をふまえた、ふさわしい演奏を行っているので好感がもてる。

 ライナー盤はなかなか立派な演奏をしているのだが、残念なことに歌詞がロシア語ではなく、英語訳に変えられており、その点で損をしている。英語の語感や韻が音楽と合っていないのである。英語圏の人には分かり易いかもしれないが、それ以外の人には、やはり原語の持つ響きやリズムは作品の大切な要素であって、英語では不自然である。例えば、ベートーヴェンの「第9」を英語版で聴かされるようなものだ。オケのシカゴ響が頑張っているだけに、何とも惜しい。

 その後オーマンディのCDを買い、解説を読んで初めて知ったのだが、ストコフスキーは1943年にNBC放送でこの曲のアメリカ初演を行い、全米にラジオ放送された。
 オーマンディは、1945年にフィラデルフィアでこの曲のコンサート初演を行い、同じ年に世界初録音も行っていた。オーマンディはその後も、繰り返しコンサートで取り上げたそうで、確かに聴かせどころのツボを心得た見事な演奏である。彼の演奏は、時々素っ気ないように聴こえることもあるが、過剰な演出をしないためであって、実は豊かな常識と篤い歌心を持った優れた音楽家である。オケは天下の名器フィラデルフィア管であるし、最強の軍団と言えるだろう。録音もアナログ完成期のスタジオ録音なので申し分ない。このCDは、ストコフスキーの次に気に入っている。

 なおプロコフィエフは、エイゼンシュタイン監督とは映画「イワン雷帝」でもコンビを組んで音楽を書いているが、この映画の音楽も、斬新で格調高く、重厚かつ悲劇的で、素晴らしい効果を上げていた。中学時代にテレビで見て、強い衝撃を受けたことを覚えている。
 このほかの映画作品では、ソ連初のカラー映画「石の花」の音楽も書いていた。これもDVDが出ており、物語と音楽がマッチして夢のような世界を見せている。この音楽も、のちにバレエ作品に昇華させている。
 また、宮廷貴族を風刺した映画「キージェ中尉」でも軽妙な音楽を書いており、組曲「キージェ中尉」としてまとめられ、根強い人気を持っている。



   ピーターと狼

 この曲の録音は、モノラルとステレオ各1種ずつ残されているが、手持ちのCDは1960年のステレオ録音であった。当時、幅の広い録音テープを使ってクリアな音を売り物にしていた「エヴェレスト」レーベルによる録音で、確かに現在聴き直しても鮮度が良く、ホールの空気感まで感じられ、クォリティの高い音が楽しめる。
 演奏はニューヨーク・スタジアム交響楽団とされているが、実はこの楽団の正体は、ニューヨーク・フィルハーモニーである。レコード会社の契約の関係で、名前を変えて出ていたのである。このコンビによる録音は、この他にショスタコーヴィチの交響曲第5番などの名演奏がこのレーベルに数多く残されている。

 日本では、かつて堺正章のナレーションを付けたレコードになって、日本コロンビアから売り出されていたので、購入した人も多いと思われる。
 演奏は、生きいきとして軽妙で、楽員達も楽しんで演奏しているようだ。ストコフスキーといえば重苦しい演奏ばかりする指揮者だと思っている人たちに、ぜひ聴かせたい。彼は聴衆を楽しませることを第一に考えていた指揮者なのである。


   バレエ組曲「シンデレラ」より



 5.ショスタコーヴィチ〜交響曲第1番、第5番、第6番、第7番、前奏曲、

 6.バッハ〜トッカータとフーガニ短調、小フーガ、パッサカリアとフーガ、ほか

 7.ベートーヴェン〜交響曲第7番、第3番、第9番、各序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、

 8.ブラームス〜交響曲第1番、第2番、第4番、悲劇的序曲、

 9.チャイコフスキー〜交響曲第5番、第6番、管弦楽曲、弦楽セレナード、

10.ブリテン〜青少年のための音楽入門、

11.オルフ〜カルミナ・ブラーナ

12.シベリウス〜交響曲第1番、第2番、フィンランディア、トゥオネラの白鳥、

13.ドヴォルザーク〜新世界、

14.ストラヴィンスキー〜三大バレエ「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」、兵士の物語ほか

15.ワーグナー

16.ラヴェル

17.ホルスト〜組曲「惑星」

18.ラフマニノフ〜交響曲第2番、第3番、ピアノ協奏曲第2番、パガニーニの主題による狂詩曲、ヴォカリーズ、

19.ファリャ〜「恋は魔術師」

20.バルトーク〜管弦楽のための協奏曲、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

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